沖縄のお土産として、やちむん(沖縄の言葉で「焼き物」のこと)を買ったことがある方は少なくないでしょう。
沖縄本島の窯元としては、那覇市の壺屋と、その壺屋から分かれた読谷村(よみたんそん)の座喜味(ざきみ)が有名です。
今回は、壺屋のやちむん・壺屋焼にスポットを当ててみましょう。
壺屋焼のはじまり
この壺屋焼は、琉球王国が編纂した歴史書「球陽」によると、1682年に壺屋の地に移住してきた陶工たちが始めたとされています。それまでの知花窯(現在の沖縄市)、宝口窯、湧田窯(共に現在の那覇市)の3カ所の窯場を壺屋に移転させて、1つの窯場にしたとされています。
現在でいうところの“経費削減”と壺屋付近で赤土が見つかったことが、その理由とされています。興味深いですね。
那覇市立壺屋焼物博物館の主任学芸員・比嘉立広(ひが・たつひろ)さんにお話を聞いたところ、「最盛期には壺屋に30を超える登り窯があったと言われていますので、それ以上の窯元が活躍していたと考えられます」とのこと。
現在も、「壺屋では12程度の窯元が活躍しています。また、壺屋焼の組合(壺屋陶器事業協同組合)では、28の窯元が活躍しています」(比嘉さん)と、人気のほどが伺えます。
壺屋焼の技法
壺屋焼は沖縄で採れる土と伝統的な釉薬(ゆうやく)や技法を使って作られています。琉球王国時代から交易を通して東アジアのさまざまな国から技術を吸収したため、多種多様な技法が特徴。
また、琉球王国最大の窯場だった壺屋では、庶民の物から王族・士族の物まで、あらゆる階層が使う焼き物を作っていたため、現在でもさまざまな種類の器が作られていて、形や模様が多彩なのも大きな特徴の1つとなっています。
壺屋焼の種類
壺屋焼には、大きく分け「荒焼」「上焼」「アカムヌー」の3種類があります。
「荒焼」は沖縄本島中南部で採れる粘土を使い、約1,120度で焼き上げた焼き締め陶器のような物。主に貯蔵用の壺や甕が作られました。
「上焼」は沖縄本島の中北部で採れる粘土を使い、釉薬を掛けて約1,200度で焼き上げた施釉陶器です。主に食器などの日用雑器が作られました。
「アカムヌー」は荒焼で使う粘土にニービ(細粒砂岩)を混ぜ、約600度で焼き上げたものです。主にヤカンや火鉢など、直接火にかけるものが作られました。
ちなみに、2000年に沖縄・名護市の万国津梁館で開催された「第26回主要国首脳会議」、いわゆる“沖縄サミット”で、壺屋焼の陶工・小橋川清正氏の練込み皿が使用され、記念の品として各国首脳に贈られたことでも有名です。
壺屋エリアの楽しみ方
比嘉さんに“最初の壺屋焼”のオススメを聞いたところ、「壺屋焼は現在も普段使いできる器として作られていますので、お気に入りの食器や湯呑などを購入し、身近なところから生活に取り入れてみるのがオススメです」とのこと。
また、壺屋やちむん通りでは、「育陶園や仁王窯、シーサー工房不羈(ふき)などで、ロクロ体験やシーサー作り体験を行っています。また、近くにある那覇市伝統工芸館でも体験を行っています」(比嘉さん)ということなので、自分だけの壺屋焼を作ってみるのもオススメです。
壺屋は沖縄戦の被害が少なかった地域で、戦前からの生活を色濃く残す井戸や拝所(うがんじゅ)、古民家、石垣に囲まれた路地などが残されており、国際通りからすぐ近くにあるにもかかわらず、戦前の沖縄の雰囲気を体感することができます。
そして、今では公害防止条例のために壺屋エリアでは使用されていませんが、国指定重要文化財になっている新垣家住宅などにある「登り窯」を見ることができるのも貴重です。
メインストリートである壺屋やちむん通りには、陶器などの販売店、約40店舗が軒を連ねていて、壺屋焼の陶工をはじめ、沖縄で活躍するさまざまな陶工・陶芸作家の器を購入することもできます。カフェや飲食店では、壺屋焼をはじめとする沖縄の焼き物を使いながら飲食を楽しむことも可能。
壺屋焼をきっかけに壺屋エリアで沖縄文化の一側面を体験してみましょう。
参考文献:沖縄大百科事典(沖縄タイムス社)、壺屋焼入門(ボーダーインク)
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