沖縄旅行でよく耳にするあの名曲…その意味や背景をご存じでしょうか? 今回は沖縄で歌い継がれてきた定番の「歌」や「民謡」から、比較的よく耳にするであろう、定番曲・有名曲をピックアップしました。
ふと入った民謡居酒屋で踊りながら、はたまた、観光施設やエイサーの大会などで聴くことができると思います。
沖縄で歌い継がれてきた「歌」「民謡」について、ぜひ、その意味や背景を知ってから、再度聴いてみてください。より一層楽しめると思います。
「安里屋ユンタ」のルーツは竹富島
まずは、「サーユイユイ」や「マタハーリヌ チンダラカヌシャマヨ」という掛け声や沖縄の言葉が使われた歌詞が特徴的な「安里屋(あさどや)ユンタ」。非常にポピュラーな曲なので、皆さん耳にしたことがあると思います。
この「安里屋ユンタ」の故郷は、八重山諸島の竹富島。竹富で歌い継がれてきた元歌に、石垣出身の高名な作曲家・宮良長包(みやら・ちょうほう)氏が練り直し、琉球立法院議員だった星克(ほし・かつ)氏が詞をあて、1934年に完成したと言われています。
元歌は、美少女・クヤマが、役人の命で強制的に召し抱えられようとしたことがきっかけで生まれたユンタ(労働歌)。竹富島のある八重山諸島や宮古諸島は、かつて人頭税(じんとうぜい)という重い税が課せられたことから、役人に搾取される側の悲痛な声がユンタとなって多く生まれました。竹富島では、そのクヤマの家が今も観光名所になっています。
八重山の苦難の歴史が生んだ「とぅばらーま」
同じく八重山が生んだ誇り高い歌として、今も地元の人に愛される「とぅばらーま」があります。「マクトニ ツィンダーサー ンゾーシーヌ トゥバラーマヨー(誠にそう、愛しい人よ)」という愛おしむ心を歌った歌詞が感動的です。
八重山の人たちは、かつて、仕事の辛さやほのかな恋心をトゥバラーマのメロディーに乗せて口ずさんできました。ユンタ、ジラバと呼ばれる労働歌や大衆歌から発展した歌で、とぅばらーまの代表曲「月ぬ美しゃ(つきぬかいしゃ)」にちなんで、中秋の名月、十三月夜の輝きの下でとぅばらーまの歌唱コンテスト「とぅばらーま大会」が現在でも毎年行われています。
同コンテストは、10代の若手から年配者まで、幅広い年代の参加者が八重山民謡の歌唱力や詞の内容を競い合う大会で、それぞれの思いや心の機微を歌った個性豊かなとぅばらーまを聴くことができます。
「ナークニー」は歌い手の登竜門!?
沖縄の歌には、とぅばらーまのように、同じメロディーに思い思いに歌詞を乗せる楽曲が他にもあります。「ナークニー」と呼ばれるそれは、若い男女が三線を持って原っぱで歌い遊ぶ「毛遊(もーあし)びー」という場で、数々の楽曲が生まれていきました。
ナークニーは“歌い手であれば避けて通ることのできない「最重要課題曲」”といわれるほどで、嘉手苅林昌(かでかる・りんしょう)氏、登川誠仁(のぼりかわ・せいじん)氏、知名定繁(ちな・ていはん)氏、喜納昌永(きな・しょうえい)氏、照屋林助(てるや・りんすけ)氏ら、後世に名を残す歌い手もナークニーを歌っています。それぞれのナークニーを聴き比べても面白いかもしれません。
与那国の地理的背景が生んだ「与那国ションガネー」
そして、日本最西端の与那国島にも「与那国ションガネー」という歌が伝わります。「ンゾナリムヌヨー ハーリー ションガネヨー(これも定めか、しょうがないのか…)」と、琉球王国時代、島を治めた役人とその現地妻との別れをモチーフに、残された人たちの涙を切々と歌い上げます。これも離島ならではの環境から生まれた歌と言っていいでしょう。
宮古の思いが詰まった「アヤグ」と「クイチャー」
一方、宮古諸島には「ナリヤマアヤグ」と呼ばれる歌が残されています。宮古の人たちは「アヤグ」に “綾語(綾なる言葉)”という漢字を当てて、つまり、言葉一つ一つを大事にする精神を伝えたといわれています。「ナリヤマアヤグ」は、そのアヤグの中の代表的な1曲。歌詞に島の戒めや金言を盛り込んだり、過酷な生活にくじけない強い心を反映したり、アヤグには宮古の人たちの強い心情がしっかりとした言葉で紡(つむ)がれています。今でも宮古の祭りに残る「クイチャー」は、島の人々を苦しめた人頭税の廃止を喜ぶ宮古の人たちが声(くい)を合わせて(ちゃーす)歌い踊ったことから、喜びを全身で表す踊りとして大事にされています。
「てぃんさぐぬ花」はマニキュア代わりだった!?
続いて、場所ではなく、ものをモチーフに歌われた歌も数多くあるので、ご紹介します。鳳仙花(ホウセンカ)をテーマにした「てぃんさぐぬ花」もよく知られた沖縄の歌です。“てぃんさぐ”は昔、薬草として、また、今でいうマニキュアの代わりに使われていました。女性たちはハレの日に、オシャレの一環でてぃんさぐを爪に塗って出掛けたそうです。
「てぃんさぐぬ花」は、そんなおしゃれをする子供たちと親の関係を歌いました。“鳳仙花の花は爪に染めて、親や目上の人の言うことは心にしっかり染めなさい”という、いわゆるメッセージソング。そんなことを考えながら耳を傾けると、また違った思いが心をよぎるかもしれません。
県民の誇りを綴った「芭蕉布」
沖縄の代表的な織物で、大宜味村(おおぎみそん)の喜如嘉(きじょか)に根付いている「芭蕉布(ばしょうふ)」もモチーフとして歌われている有名な楽曲があります。
曲名はそのもので「芭蕉布」。昭和の時代にヒット曲を多く残した作曲家・普久原恒男(ふくはら・つねお)氏の代表曲で、1965年に作られました。美しいメロディーに乗せて歌われる「常夏の国 我(わ)した島 沖縄(うちなー)」という沖縄や沖縄県民の誇りを表した歌詞が胸を打ちます。
「花風」「恩納節」…場所にひもづく名曲も多数
ほかにも、美しい遊女が港から突き出た三重城(みーぐすく、現在の那覇市)の高みから、意中の男性が乗る船を見送るシーンを歌った「花風(はなふう)」、現在の恩納村(おんなそん)に生まれた女性といわれる恩納なべが不屈の思いを込めた「恩納節」など、地域に由来する歌が数多く残されています。
「ミルクムナリ」「ダイナミック琉球」…エイサーでよく使われる沖縄の歌は?
最後に、皆さんになじみ深いエイサーで人気の楽曲をご紹介します。筆頭は、沖縄出身のミュージシャン・日出克(ひでかつ)氏の「ミルクムナリ」。YouTubeでは230万回以上も再生されている、県民にとっても胸躍る楽曲の一つです。
近年では甲子園の応援歌にもなっているイクマあきら氏の「ダイナミック琉球」、「仲順流(ちゅんじゅんなが)り」「久高万寿主(くーだーかーまんじゅーす)」「スーリー東(あがり)節」などなど。
そしてラストは「唐船ドーイ」&カチャーシーで決まり!
そして、エイサーでも終盤、観客も入り乱れてのカチャーシーで演奏されることが多い「唐船(どうしん)ドーイ」など、よく“ちむどんどん(心がドキドキする)”と表現されますが、県民はこれらの楽曲が聞こえてくると、自然に体が揺れるくらい、人々の心に根付いています。
紹介記事:「カチャーシー」を知れば、沖縄の旅やお酒はもっと楽しくなる!
歌を聴けば、その場所を思い出したり、ある人との思い出を回想したり、ある情景を想起したり…それぞれの心象風景があると思います。沖縄の歌を耳にした時、皆さんはどんな風景を思い描きますか。
参考文献:「沖縄 島唄紀行」(小学館)
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