首里城公園のおさんぽ。後編はいよいよ正殿エリアに突入です。2019年10月31日の火災から初となる潜入となり、期待半分、ドキドキ半分…。
改札のある奉神門にも守礼門と同じく3つの入り口があります。こちらも、3つの門のうち中央は国王や中国からの冊封使など限られた身分の高い人だけが通ることができる門で、それ以外の役人は両側の門から入城していたとも言われています。
火災のあった正殿エリアへ
今回も改札のある真ん中をくぐって中へ。御庭(うなー)部分には屋根瓦の入った工事の袋がいくつも並んでいて、復元の真っ最中という雰囲気。この瓦は比較的損傷が少ないものらしく、今後の復元の際に利用するため、保管しているそうです。
焼け残ったものが私たちに伝えてくれるもの
足場を利用した簡易通路が組まれ、その通路に沿って進んでいくと、さらに火災のすさまじさを目の当たりにすることになりました。足場の間には火災で焼け落ちた屋根部分の両サイドに設置されていた「龍頭棟飾(りゅうとうむなかざり)」と呼ばれる龍のひげ部分と頭部、赤瓦の瓦礫(がれき)が並べられています。
しかし、これは焼け跡を悲しむものではなく、このことを忘れずに、琉球王国の威容を再び輝かせるんだという公園スタッフや県民の思いの現れがこのディスプレイになっているんだなぁと感じさせる力強さも感じることができました。
その横には、こちらも世界遺産登録されている正殿の遺構が大切に建屋で囲われています。幾たびも災禍をくぐり抜けてきた遺構を見ていると、今回の火災を経験した私たちに「大丈夫!」と語り掛けてくるような懐の深さを感じずにはいられません。
男子禁制の首里城の大奥「御内原」
続いて、2019年1月に復元が完成した、女性が取り仕切る「奥」の世界、“大奥”エリアへ進みます。
正殿を境にした東側の一帯は「御内原(おうちばら)」と呼ばれる、国王やその親族の私的空間です。当時は、王妃を頂点とする厳正な女官組織のもとに多くの女性が仕えていて、「淑順門(しゅくじゅんもん)」は、女性がすべてを取り仕切る「奥」の世界へ通じる門でした。
最初に現れる建物は、御内原に勤める女官たちの居室「女官居室(にょかんきょしつ)」です。御内原で仕える女官たちは首里城内に住み込みで暮らしていた人と、通いで勤める人がいたと言われています。
国王の身の回りの世話やさまざまな「奥」の職務を行う女官たちを総称して「城人(ぐすくんちゅ)」といい、城人は身分に関係なく器量に優れた女性が選ばれていたそうです。
創建年不明の「白銀門」の先には、国王の霊柩を安置していた「寝廟殿(しんびょうでん)」があります。この寝廟殿の周囲にも、玉陵(たまうどぅん)の墓前と同様に、サンゴが敷き詰められています。また、建物についてはよく分かっていないため、建物の輪郭のみを平面的に示しています。
この御内原には他にも敷かれた石の色で建物の輪郭だけを示しているエリアがありますが、正確に分かっているものだけを再現していくという徹底ぶりで、前編に出てきた「万国津梁の鐘(ばんこくしんりょうのかね)」も正殿内にあったことは分かっていても、その正確な場所が分かっていないために「広福門(こうふくもん)」の手前に置かれていたことも思いだされます。
首里城内の絶景スポット!
さらに御内原エリアを奥に進んで行くと、「西(いり)のアザナ」に対して、城郭の東端に築かれた物見台「東(あがり)のアザナ」があります。標高約140mの位置にあって、城外の町や城内の正殿裏・御内原一帯、さらに天候によっては久高島を見ることもできます。当時は、「漏刻門(ろうこくもん)」や「西のアザナ」と共に、城内に時刻を知らせる役割を担った場所でもありました。
現在は鑑賞ルート的に「淑順門(しゅくじゅんもん)」を出て守礼門方面に向かう際は「久慶門(きゅうけいもん)」通過していきますが、琉球王国当時は御内原へのルートとして「久慶門」が使われ、主に女性が通っていたと言われています。
戦跡としての首里城「第32軍司令部壕」
そして、最後に、「園比屋武御嶽石門(そのひゃんうたきいしもん)」の後方に遺る「第32軍司令部壕」の跡もチェックしてみてください。この壕は全長1,000m以上にも及ぶ巨大な人口壕で、沖縄戦当時の沖縄守備軍の戦闘指令所の跡です。
米軍上陸後、首里地域は攻防戦の中心となり、壕内には軍首脳以下約1,000人が生活して、指令官室、参謀長室、作戦室、無線室の他に兵隊のベッドや炊事場、浴室、トイレも完備されていました。
旧日本軍が撤退した際に爆破した影響とされていますが、坑口から約150mのところで土砂が堆積して行き止まりとなっています。また、坑口は閉鎖されているため入ることはできませんが、先日、内部にマスコミの取材カメラが入り、その映像がニュースなどで流れました。
正殿エリアは現在、見方によっては痛々しいかもしれません。しかしそれは、先述した通り、復元への道を歩み始めている力強い一歩でもあります。正殿の復元は2026年の完成を目指していますが、今、この瞬間も、首里城は復元への歩みを一歩ずつ進めています。
正殿までの道は前編にてご紹介しています。首里城おさんぽ前編はこちら
「ガイドと歩く 那覇まちま〜い」の情報はこちら
オリオンビールの首里城再建支援の取り組み
オリオンビールでは、首里城の一日も早い再建を願い、昨年に続き「ザ・ドラフト 首里城再建支援デザイン缶・びん第2弾」を数量限定で発売します。首里城火災から約1年が経過する中、再建のさらなる気運を高めるべく、オリオンビールでは継続した活動を行っていきます。
1本あたり3円を首里城復興までの期間における、沖縄県民の心に留めるための活動の支援や、チャーギの植樹に活用する予定です。本デザインは第一弾同様、首里城のイラストと首里城の装飾にも使用されている流水紋を紅型風にあしらいました。
オリオングループでは、沖縄県民の笑顔につながるための首里城の再建を心より願っております。