沖縄・那覇市には、十二支の干支にちなんで、「首里十二支詣り」「テラマーイ(寺参り)」と呼ばれる、琉球王国時代から続く参拝方法があります。
「首里十二支詣り」は沖縄の言葉で「ジュウニカヌウテラマーイ」といい、首里にある4カ所の寺院に祭られている十二支の守り本尊を巡拝し、日々の感謝を伝えて、健康や開運を祈願します。
琉球王朝時代は王朝政府が寺を保護していたため首里には多くの寺があり、当時は12のお寺それぞれに干支が当てはめられていたそうですが、時代の変遷とともに、現在では「慈眼院 首里観音堂(じげんいん しゅりかんのんどう)」「太平山安國寺」「西来院 達磨寺」「盛光寺」の4カ所に祭られています。
現在では、年末年始や厄年、人生の節目などに十二支の神様に日々の感謝を伝え、健康や開運、御加護を祈願します。年末年始や週末は多くの地元の人たちがお供え物を持参して伝統的な方法で祈りを捧げている姿が見られます。
巡る順番は特に決まっていませんが、慈眼院から『⼦、丑、寅…』の順番で回るのが⼀般的だそうです。
ということで、慈眼院から紹介します。
慈眼院 首里観音堂(じげんいん しゅりかんのんどう)
祭られている干支:子、丑、寅、辰、巳、午
正式の寺号は「慈眼院」で、首里観音堂とも呼ばれる臨済宗妙心寺派に属する寺院です。創立縁起は、琉球王朝時代、佐敷王子(後の尚豊王)が人質として薩摩に連れて行かれた際、父・尚久王は息子が無事帰国できたら首里の地に「観音堂」(観音様を祭るお堂)を建てることを誓願。その後、無事帰郷したことを受けて、1618年、首里に観音堂を建て、その南に、慈眼院が建立されました。
1645年から毎年、琉球王国の国王が国の安全を祈願・参拝するようになりました。また、当時、貿易が盛んだった琉球王国にとって那覇の町や海が一望でき、渡航の安全・国の安全を祈願するのに最適な地でした。国王はこの地に、全ての人を守り、救い、願いを叶える千手観音菩薩像を祭りました。
太平山安國寺
祭られている干支:酉
太平山安國寺の歴史は古く、創建は琉球王国の尚泰久王時代までさかのぼります。「琉球一件帳〈仏寺ノ初〉雍正拾五年〔西暦1732年〕」の読み下し文に、「文永年間の頃何国の僧とは不相知、禅鑑と申僧小船より那覇へ漂着いたし寺を浦添間切に創建、極楽寺と名付侯由、是寺の始めの由御座候」という記載があります。
これが沖縄仏教の始まりであり、これより200年後の1457年に太平山安國寺が創建されました。現在まで550年余りにわたり、首里の町を守っています。
本尊は不動明王で、人生転機に強く、勝負ごとや病気からの回復、災難や煩悩の克服、繁盛・繁栄を望む人が祈願に訪れます。
西来院 達磨寺
祭られている干支:卯、亥、戌
那覇市首里赤田町にある臨済宗妙心寺派の寺院です。開山は菊隠宗意。山号は達磨峰、寺号は達磨寺。1573~1619年に建立されたとされていますが、実際の建立時期はそれよりも前で、観音菩薩を本尊とする寺院でした。
建立当初は那覇市儀保町にありましたが、明治時代に現在の地に移されました。残念ながら沖縄戦で消失してしまいましたが、すぐに再建され、現在では、初詣や、テラマーイ、健康、妊娠祈願などで多くの人が訪れています。
盛光寺
祭っている干支:未、申
那覇市首里儀保町、ゆいレール儀保駅近くにある臨済宗妙心寺派の寺院です。未・申の守り本堂である大日如来が祭られています。
1868年には那覇市の久米町にありましたが、明治の後期頃に現在の場所に移転しました。戦後に再建され、現在に至ります。以前は寺内で「のまんじゅう」が売られていることで有名でした。
参考図書:「拝所回り(ウガンマーイ)200選」(比嘉朝進著、風土記社)
参考サイト:「おきなわ物語」、「沖縄のまちとつながる情報マガジン『Aha!』」、「慈眼院 首里観音堂」公式サイト、「太平山安國寺」公式サイト、「那覇市観光資源データベース」
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