沖縄の音楽といえば、真っ先に思い浮かべるのが「三線(さんしん)」の音色ではないでしょうか。皆さんも沖縄旅行の際に、そこかしこで三線を見掛けたり、音色を聴いたりしたことがあると思います。特に民謡居酒屋では、毎夜、定期的に三線が流れ、沖縄旅行の思い出のワンシーンになっている方も多いのでは。
ところで、この「三線」という呼び方、本州では「三味線(しゃみせん)」という楽器が有名なので、「あれ?」と思った人も多いと思います。
三線も三味線も3本の弦がある弦楽器というのは共通です。中国の「三弦」という楽器が琉球に伝わって「三線」となり、さらに本州に渡って「三味線」になったといわれています。
三線は人差し指に長い爪のような「義甲(ぎこう)」を使い、三味線は銀杏型の先端にしゃもじのような取っ手がついた「撥(ばち)」と呼ばれるものを使います。
ほかにも、棹(さお)部分や弦の素材、楽譜なども違いがあります。
民族楽器となった三線
沖縄にこの三線(三弦)が伝わってきたのは、14世紀頃。その後、琉球王国で長く愛用され、さまざまな工夫や改良が加えられて琉球音楽の主要な楽器として定着しました。さらに、15、16世紀になると宮廷から庶民にも普及し、民族楽器となっていったのです。
三線を民間に伝えた人物として、赤犬子(あかいんこ)という人が伝えられています。沖縄の古い歌謡「オモロ」の中にも、「哥(ウタ)と三線(サンシン)のむかしはじまりや犬子(インコ)音東(ネアガリ)の神の御作(意味:歌と三線の昔はじまりは赤犬子と音東の神のわざである)」と赤犬子を称える歌があります。
赤犬子は読谷(よみたん)出身で、そこから沖縄中に歌三線を伝えながら流浪し、その後、王朝に迎えられて官職に就いたとされています。
また、この三線が沖縄県民に深く愛されていた印象的なエピソードがあります。それは、第二次世界大戦後、焼け野原となった沖縄の多くの人が入れられた捕虜収容所でのこと。
収容所に入れられ米軍の厳しい監視下にあっても、沖縄出身の捕虜たちは、空き缶やありあわせの木材、そして、パラシュートの紐を弦にして、三線に見立てて戦争の悲哀を歌い、自分たちを慰め、鼓舞したそうです。缶を使ったことから、「カンカラ三線」といわれました。沖縄県民の心の深い部分で三線や音楽が息づいていることを表す、とても印象的なエピソードです。
三線の素材としてイヌマキも使われていた!
この三線の「胴」の部分、実は今のオリオンビールが行っている取り組みと少し関係があります。三線の胴の素材としては、かつて、桑の芯やイヌマキ(チャーギ)が用いられていました。
オリオンビールは首里城の火災の後、首里城の正殿建築に用いるべきイヌマキが沖縄戦で完全焼失した後、県内で育樹されていないことを知り、100年先の首里城を見据え、さらには、持続可能な文化継承に貢献していくための取り組みとして、沖縄本島北部の森でイヌマキを育て始めています。
このイヌマキは首里城正殿にも用いられるほか、三線の素材としても使われるなど、当時の沖縄では重宝されていたそうです。
県民も観光客も笑顔になる民謡居酒屋の人気曲は?
民謡居酒屋等では、三線の音色に乗せて全国的に馴染みの深い「涙そうそう」や「島人(しまんちゅ)ぬ宝」などがよく聴かれ、「オジー自慢のオリオンビール」も定番で楽しまれています。また、「てぃんさぐぬ花」「安里屋(あさどや)ユンタ」、そして「芭蕉布」などの沖縄民謡も人気です。
そして、最後は「唐船(とうしん)ドーイ」を歌いながらカチャーシーで締めるというのが多いようです。この曲では、地元の人も観光客も一体となってカチャーシーを踊る姿が、沖縄の居酒屋の風景としてイメージしやすいかもしれません。
三線の音でちむ(心)どんどん、エイサーの太鼓でちむどんどん…沖縄県民の体はこの音を聞くと、体が揺れて笑顔になる。そして、そこにオリオンビールで、さらに笑顔に…。次の沖縄旅行でもこんな沖縄の夜を体験してみてください。
参考文献:沖縄大百科事典(沖縄タイムス社)、沖縄県三線製作事業協同組合公式サイト
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