琉球王国が育んだ「紅型」の魅力と歴史を知る

沖縄の豊かな自然を落とし込んだような鮮やかな色合いと大胆な配色、そして図形の素朴さが魅力的な沖縄の染物「琉球紅型(りゅうきゅうびんがた)」。

琉球王国時代の王族や士族をはじめ、今なおその独特な美しさと華やかさで人々を魅了し続けています。

鮮やかな色合いと大胆な配色が特徴の紅型/©一般社団法人琉球びんがた普及伝承コンソーシアム

その独創的な「紅型」の美しさが生み出された背景には、沖縄の特異な地理的要因も大きく影響しているといわれています。中国的な豪華さと日本的な優美さを併せ持つ「紅型」の歴史や魅力に迫ります。

琉球王国が育んだ華やかな魅力と歴史

「紅型」の起源は、早くは13世紀との見方もありますが、琉球王国が交易を盛んに行っていた14〜15世紀前後ともいわれています(諸説あり)。

盛んに交易を行っていた琉球王国

琉球王国は日本本土・中国・アジア諸国の中間に位置している地理的利点を生かし、日本や中国だけでなく、現在のタイやフィリピンなどの東南アジアとも交易を行っていました。当時の交易品の中にはインド更紗、インドネシアのジャワ更紗、中国の型紙による花布等染め物や織物のデザインがあり、そうした他国の染織技術やデザインを取り入れ、沖縄に古くからあった染色技法を合わせて、紅型は誕生しました。

東洋文化の枠をチャンプルーして作られた魅力的な染物/©一般社団法人琉球びんがた普及伝承コンソーシアム

交易を行なっていた諸国の染織技術やデザインを取り入れているため、紅型は本土の着物に比べると色やデザインがはっきりしていて中国や東南アジアの雰囲気があります。また、紅型に多く取り入れられている黄色は、明るい黄色を皇帝の色と定めていた中国の影響ともされています。

モチーフとして描かれるものは、動植物、自然の風物、建物などの工作物とさまざま。これは、中国の染織品や日本の友禅などの影響も受けていて、まさにあらゆる東洋文化の粋をチャンプルー(沖縄方言で”混ぜこぜ”という意味)して作られた、沖縄独特の魅力的な染物です。

幾何の荒波を乗り越えて紡いできた「紅型」

紅型は、誕生から現在に至るまで何度も消えかけ、そのたびに荒波を乗り越えてきました。

薩摩による琉球侵攻

17世紀に入ってすぐ、薩摩による琉球侵攻で紅型の型紙の多くが焼失、もしくは持ち去られてしまいました。しかし、この薩摩の侵攻では、紅型は衰退することなく、18世紀頃までに現代ある紅型の様式へと確立されていきました。

廃藩置県による琉球王国の解体

19世紀後期、日本で廃藩置県が行われ、長年続いた琉球王国の歴史は幕を閉じます。これまで紅型を支援していた琉球王国の王制が解体されると、紅型も衰退していきました。

第2次世界大戦

先の琉球王国解体での紅型の衰退から再興の機を待つことなく、第2次世界大戦が始まり、沖縄は壊滅状態となりました。紅型工房も破壊されてしまいました。

戦後復興、そして紅型の再出発

沖縄戦後、戦火を逃れた紅型三宗家(琉球王国の士族に仕えた紅型作家)の継承者により紅型の復興が始まりました。当時は物資不足だっ  たため、道具は、拾った軍用地図や割れたレコード盤、銃弾の薬莢(やっきょう)、そして口紅などを使用しました。薬莢をコンロで熱して溶かす際には、紛れ込んだ実弾でコンロごと爆発したこともあったといいます。

当時は、着物などの高価な作品だけでなく、安価で手に入れやすいハンカチなども作られました。また、米軍支配下の中、東洋的なクリスマスカードやネクタイなども米兵に人気があったそうです。

「紅型」の現在

現在では沖縄県の無形文化財や国の伝統的工芸品に指定され、さらに継承者たちは紅型の技能保持者に認定されました。こうして色鮮やかに戦後の復興を果たした「紅型」。終戦直後の混乱した社会の中、継承者のみならず多くの人たちが「昔通りの素晴らしい紅型を作る」ことを互いの使命として集まり復興の気運を高め、「伝承する心」も大切に紡いできました。

紅型の制作風景/©一般社団法人琉球びんがた普及伝承コンソーシアム

「紅型」の制作工程

紅型職人の仕事は、制作に使用する道具を作ることから始まります。図案から仕上げの水洗までたくさんの制作過程があり、分業制で工程ごとに熟練の職人が手掛けることがあります。

仕上がりを左右する重要な工程「型附け(かたちき)」

「型置き(かたおき)」「糊置き(のりおき)」ともいわれ、型紙から生地にデザインを転写する工程です。生地に当てた型紙に防染糊を塗布することでデザインを写し取ります。

紅型の美しさは「イルクベー」にあり

色を差すことを「イルクベー (色配り) 」といいます。紅型は顔料と天然染料の両方を用いた彩色の技法を用いています。色差しの順序には決まりがあり、朱など赤系統の暖色系から差し、次第に寒色系を差していきます。

色差し(イルジヤシ)/©OCVB

色鮮やかな色彩の決め手は「顔料」

「顔料」とは、水や油にまったく溶けない色を持っている粉のことです。一方で、水や油に溶けるものは「染料」と呼ばれます。顔料は粒子の色がそのまま布の上に残ります。紫外線に強く、色があせにくいため、定着すると染料より鮮やかに発色します。顔料だからこそ、沖縄の太陽にも負けない色の力強さ、沖縄の原風景の色彩を表現できるのです。顔料と染料を併用することにより、色の見え方に違いがあり、奥行きを感じさせることができます。

社会階級により図柄や色が異なった「紅型」。そのさまざまな技法とは?

紅型は交易品としてだけではなく、琉球王国の王族や士族の衣装としても愛用されていました。社会階級により図柄や色が貴族と士族とで色分けされていて、年齢・男女の別などでも色が変わり、人々の生まれや階級を示すのに生かされていました。

王族や士族の衣装としても愛用されていた紅型/©OCVB

「首里型」

主に王族だけに許された手の込んだ豪華で美麗な衣装。王族の衣装は色も多く、柄も大柄なものや非常に細かく手の込んだものなどが用いられていました。地色は黄色地が最上とされていました。

「那覇型」「泊型 (とまりがた)」

王族が用いた首里型に対して、他の地域で作られた庶民や特別に認められた者に着ることが許されたもの。落ち着いた色や首里型よりも小さな柄を使用していて、一見地味にも思えますが、色柄に多くの制約があった中、華やかに見せる工夫があり、緻密で奥深く繊細な技法が用いられていました。

「浦添型」

首里城以前の古琉球時代に生まれたものです。印金手法やコンニャク糊で墨をすり込む技法で、紅型の起源といわれています。

他にも、色華やかな紅型に対し、藍の濃淡や墨で染められた紅型を「藍型(いぇーがた)」と呼びます。藍型は夏の衣料として数多く染められ、今日でも夏物の衣料として好まれています。

「紅型」に描かれている模様に注目

そもそも「紅型」という言葉は、「紅(びん)」は「色彩」を意味し、「型(がた)」は「模様」を意味するという見方があります。そのため紅型は色彩の鮮やかさだけでなく、そこに描き出された模様に注目するのも楽しみ方の一つです。

紅型の多種多様な模様/©一般社団法人琉球びんがた普及伝承コンソーシアム

紅型で描かれる模様を見てみると、「中国的な模様」「大和(日本本土)的な模様」「沖縄風の模様」などがあります。

中国的な模様の代表例

「龍」や「鳳凰」は縁起の良い幸運の象徴として、中国では皇帝の表象とされています。琉球王国でもこのような模様が入った紅型は王家が着用していました。

大和的な模様の代表例

「萩」「牡丹」など和風な模様の紅型もあります。暖かい沖縄では雪はほとんど降りませんが、紅型衣裳の中には「雪」が描かれているものもあります。日本本土とも交易を行っていた琉球王国では日本の有名な染め技術も貿易と共に入ってきたので、日本の文様の影響も受けています。

沖縄風の模様の代表例

沖縄風の模様の特徴は南国地方特有の植物が描かれているところにあります。沖縄では定番の「ハイビスカス」「デイゴ」「アダンの実」などは季節を問わず身に着けることができる模様として重宝されています。

鮮やかな紅型の模様/©OCVB

アジアや本土の手法や模様を用いて作られた紅型。色鮮やかな紅型の魅力にぜひ触れてみてください。

参考サイト:琉球びんがた事業協同組合

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